社長のブログ

金を貸すということの意味の無さ

2018/10/21
社長ブログ

「何を助けるのか?」ということを間違えると、相手すら壊してしまう愚かな経験をしました。

 

学生や経営投資のことではなく、ただの「金貸し」のことです。

 

2015年、ある男性に120万円を貸しました。

1度しか会ったことがない、同じ世代の方に。

 

1ヶ月後に返済するというメッセージが、彼からの最後の連絡でした。

 

その後、電話もつながらず、メールも返ってこない。

 

それからまた時間が経ちました。

 

3年後に別の知人から、彼が今都内にいるらしいという噂を知らされ。

ただ、探すあてもないため、友人の弁護士に相談しました。

 

 

友人は、仕事として、貸した相手の住所を突き止めてくれました。

そして、120万円の返済をお願いする文書を自宅に送ってくれました。

 

数週間後、彼から弁護士宛に返事がきました。

 

その文書には、

「現在は風俗店のスタッフとして働いていて、妻にバレると離婚されるので、手紙を送らないで欲しい。」と書いてありました。

 

それから、返済するのか・しないのか、連絡のやりとりも進まないため、裁判として法律で決めてもらうようにしました。

勿論、勝訴ではありますが。

銀行の差し押さえはできても、先に口座から引き出されてしまったり、仕事先から手渡しで給与をもらっていたらお金をおさえることはできません。

直接、もらいに行くことは恐喝になってしまい、これ以上の請求はできないといわれました。

 

 

私は、ただ、「返せないなら返せないといって欲しかった」だけでした。

 

金を貸し、感謝されるどころか、迷惑とされ。

結果的に、「良いこと」をしたなど何も感じることができていません。

 

今までも何人かに貸したことがありますが、相手からは連絡してくることはありませんでした。

そういうものなんだと思っています。

 

つまり貸した方が悪い、そういうことです。

 

同じように、意味のない支援をすると、相手のためになるどころか、相手をダメにしてしまうんだと。